なるべく壁を作らない・・・壁とならない「仕切り」を考える

光や風が住戸の奥の奥まで入り込んでくれるようになれば、設計の一段階目はまず成功と言ってもよいだろう。

次の段階では、ここでは何をしたい、ここには何を置きたい、ここには設備がくる、と場所ごとの機能を当てはめてイメージを膨らましていくことになるが、ここでいくつもの気がかりが生まれる。

これとこれはどうしても区分しなければならない、ここからここが見えるのは良くない、ここは静かに隔離した場所にしたい、という具合にたくさんの「仕切り壁」が登場して、家はどんどん暗くなり、プランはたちまち小部屋の集合体と化してしまう。

家に求められる要求は実に多様である。家族構成員の要求もバラバラでまとめるのは大変である。
同じ家の中に居ながら行動様式も時間帯もすれ違いで、何日も顔を合わさないことだってある。
それぞれの生活を尊重すればするほど仕切り壁は重要である。狭くてもよいから誰にも邪魔されない場所が欲しいというのも切実な叫びだ。

来客のことも考えなければならない。
ここまでは良いけれどここはどうしても見せたくない、とか、客が泊まるということになったらどうしよう、とか、悩みはどんどん深みにはまっていく。

ここで立ちどまり、考えてもらいたい。

ここに新たに登場した「仕切り壁」たちは、光を遮り、風の行き場を塞いでいることになっていないか?という心配である。
本当に「仕切り壁」が必要なのか考えてみよう。「壁」ではなくて、何らかの「仕切り」、つまり視線を遮るだけのもの、つまり「目隠し」だけで済むということはないだろうか。

もしも「目隠し」で済むような「仕切り」であれば、必要なときは光を通し、風を通すことが可能である。
「仕切り」は目の高さまであれば十分で、その上部は開放することができる。
軽い「仕切り」であれば不要なときには仕舞うことだってできる。

イメージしていただきたいのは昔ながらの日本間である。
障子があり、ふすまがあり、欄間が空いている、このシンプルな道具立てだけで、我々の祖父母の代までは、大家族の複雑な人間関係、「うち」と「みせ」、「ハレ」と「ケ」、を見事に乗り切ってきた。

私は、何も、リフォームで日本間の復活を主張している訳ではない。

日本間が持っていた「仕切り」の自在さをもう一度見直したい、その知恵を現代的な装いの中で復権できないかと考えているのだ。

壁で囲まれて、そこに一つの片開きのドアがついている。
閉じられた個室、プライバシー、自分だけの世界、そんな洋風の住まい方を目指して、祖父母の家と決別してきた。
その結果、壁で囲まれた6畳大の小部屋の集合体だけのマンションライフに到達したということであってはいけないと思う。

マンションの一住戸は、それがそれだけで一つの大きな個室であると考えられる。
勿論その個室とは相いれない、どうしても別にしておきたい部屋は付室として最初に区分しておく。

マンションの玄関はもうすでに個室の入り口であって、そこから一つの世界、一つの空間が展開していると考える。

様々な機能が個室の中のコーナーとして設えてあって、各コーナーは必要に応じて「目隠し」によって一時的に仕切ることもできるが、基本的にはオープンに開け放たれている。

ベッド、キッチン、ダイニング、家事、読書、パソコン、テレビ、それぞれのコーナーが見え隠れしながら響きあって住戸全体の個性を紡ぎだすのである。

ここに一望できる空間が、あなたの、あなたの家族の住まいの個性なのである。

column_H住戸2近角先生作品