ストック再生という仕事

ストックとは少々耳慣れない言葉であるが、お店に商品の蓄えがあるとかないとか言う時に、ストックがある、ストックが無いなどと表現するように「在庫」や「備蓄」のことを言う。

もともと経済学で使われる言葉で、いろいろな商品を一律に比較する指標として金額で表現される。

住宅のストックは普通は戸数で表現され、全国の分譲マンションストックは500万戸、全国の空家ストックは750万戸などと表現される。

人間が住んでいようが住んでなかろうが、1軒の家は1軒のストックとしてカウントされる。従ってストックの量が多いということが必ずしも豊かだとは言えない。ストックが全住民に上手く行きわたっていて、過不足が無い状態が最も良い状態で、ストックが足らなかった高度成長期や、今のように家余りの時期は両方とも決して望ましい状態ではない。

土木の世界でもストックという言葉は使われていて、道路や公園、水道・電気・ガスなどのエネルギー網もストックとして表現される。つまり人間が経済活動で生み出した人工物は皆総じてストックと呼ばれている。土木のストックはインフラとも表現される。

土木のストックを例にするとわかりやすいが、インフラは一旦作ってしまうと、中々更新が大変で、橋やトンネル、護岸や擁壁など、交通を止めたり大掛かりな仮設物を作り迂回路を作ったり、大変な不便を乗り越えてようやく更新されている。

つまり老朽化して使えなくなる寸前まで我慢していて、もうこれ以上は我慢できないという時に大掛かりな工事をして何とか更新するわけで、今度は出来るだけ長く持たせようと、耐久力のあるものを作るのである。100年に一度とか200年に一度という発想法が支配的な世界なのである。

ところが住宅では、もう既に750万戸の住宅が空家になっているのに、新築の住宅は年間80万戸も新築され続けている。

空家は老朽化で住めないから空家になっているものもあるが、まだ十分に住める家も、ちょっと手を加えれば住める家も含まれている。人が家を捨てるのは住める住めないで判断するのではなく、安全・便利・快適の視点から見て改善することは不可能だと、見切りをつけて、つまり費用対効果を見極めて家を捨てているのである。

防災上構造が危険だ、駅から・町から遠い、水回りが古くて快適でない、等々の理由が重なり合って家が捨てられている。住んでいた人が亡くなられて跡を継ぐ人が居ないというケースも相当な比率であるに違いない。

空家750万戸というのはすごい数字である。2人/戸で住むと仮定しても、人口1,500万人である。東京都の人口全員が移住してもまだ余るというすごい数である。住宅一軒一軒にはそれが家として機能するための、宅地、道路、水道、電気、ガス等のインフラが整備されていたはずで、家だけでなくそれらのインフラも含めて捨ててしまっていることになる。

捨てられた家はただひたすら、朽ち果てるのを待つばかりであるが、家を支えていたインフラは、放棄されるのではなく、日々、メンテナンスがなされている。このあたりの所が公的資産のすごい所で、日々、税金や公共料金がメンテナンスに投じられている。東京都の規模以上のインフラが、住む人も居ないのに維持管理されているとは!

空家の無駄もすごいが、使う人の居ない町のインフラ整備に、税金や公共料金が使われてしまっている無駄には空恐ろしさを感じる。この国は大丈夫なのだろうか。

空家は都会から遠く離れた過疎の町にあるだけではない。都会のど真ん中、町の中心部に多くある。いわゆる空洞化である。世界中の町で、町の中心部にはオールドタウンがあって、古い家や街路、城壁や運河を抱えながらその町の観光スポットとなっている。

その町の歴史をひも解いてみると、なるほど、オールドタウンもかつては犯罪の巣になっていたり、スラムと呼ぶような時代を潜り抜け、やがて、多くの人の努力で町一番の人気スポットへ変身している歴史がある。

日本の都市を例にとると、埼玉県川越市に一番街という場所がある。蔵造りの町並みで大変人気の場所である。江戸時代にタイムスリップしたかと思うほど、江戸情緒たっぷりの町並みが残っている。

私は30年ほど前に、この町で調査の仕事をしたことがある。その時この町には2つの危機があった。一つはこの一番街近くに高層マンションが建ち、危機感を募らせた住民たちが反対運動を起こした。すると間もなく、この一番街の道路を拡幅しようという都市計画が制定され、もしもこれが実行されれば、蔵造の建物たちは全滅するという恐れがあった。

私の調査はデザインコードづくりという仕事で、建物を建替えるならば蔵造と調和したデザインの建物を建てましょうという、極めて穏やかな主張を本にしたものであった。

その後、すっかり、この町から離れていたが、30年ぶりにここを訪れてびっくりした。伝統的建造物群保存地区という公共の強力な補助事業が実施され、上にのべたような素晴らしい町並みに一変していたのである。

この30年間の関係者の努力はいかばかりであったろうと、頭が下がる思いであったが、一方、日本もやる時はやるのだ、と思わずにおれない公共の補助事業の威力である。

京都にしても金沢にしても、公共がテコ入れしてやった事業の成果には目を見張るものがある。しかも町の人々が生き生きとそこで商売をしていて大変なにぎわいなのである。

川越の蔵造は実は、江戸時代のものでは無い。明治のものが1軒あるだけで、あとのほとんどは大正期のものである。江戸の蔵造の大半が関東大震災で失われて、被害の少なかった川越のものが希少価値となったのである。それでも30年前は、もはや消えてなくなるものという悲壮感が町には漂っていた。

日本の中心市街地はどれも、大正時代まで遡れば、見るべき質の建物が多く残っていて、その時代の記憶を核にして街づくりを行えば、中心部に見事なオールドタウンが甦るのではないかと思う。

マンションのリフォームは、そんなオールドタウン再生の夢と、精神に於いて完全に一致している仕事なのである。