スケルトン・インフィル(1)

スケルトン・インフィルという言葉に触れたのは約20年前のことである。大阪ガス実験集合住宅NEXT21というプロジェクトに巡り合って、ここで全力を出し切らなければ、何のために建築を志したのか分からない、などと随分気負った思いで取り組んだことを思い出す。

もともと集合住宅がやりたくて建築を志し、修業時代もこの人ならば、と思う師の門を叩いて7年半、ようやく一人でやれる自信を掴んで独立した。しかし、思ったような仕事には恵まれずに10年が経過して、かなり鬱屈した気分の中でようやく掴んだチャンスであった。

私の学生時代にメタボリズムという建築運動があった。建築家たちが共通の主張を掲げて、今までの建築ではだめだ、建築は変らなければならないと主張して、論陣を張っていた。建築を通して世の中を変えるという意識が充満していた。

私はそういう建築家達に憧れた。建築によって世の中を変えることが出来るのなら、建築家になりたい。そうだ集合住宅で町を作るのだ、

私がメタボリズムを気に入っていたのは、建築を生命体に置き換えて説明していた点で、特に代謝という概念が気に入っていた。代謝とはメタボリズムの日本語訳そのもので生命体が外部から物質を内部に取り入れて、それをエネルギーに変えて廃棄物を排出する。そのエネルギーが成長・生殖のもとなって、次の生命体を生み出す。こんな建築が本当に出来ないだろうか・

最近のメタボリックシンドロームはこうした代謝が上手く行かなくなって、内部にものを貯め込み過ぎてしまう症状をさしている。

共同設計者である友人からスケルトン・インフィルの思想を初めて聞いたとき、私は長らく忘れていた建築運動の感覚を思い出した。そうだ、あの時建築は思想と共にあったのだった。

その時の私の直観は間違っていなかった。その時以降、私は言葉を取り戻し、建築を作家的に作ることを止めた。そしてスケルトン・インフィル思想は大きな建築運動を巻き起こすことになり、私が関わった大阪ガス実験集合住宅NEXT21はその運動の立ち上がりに少なからず貢献したのであった。

スケルトン・インフィルの起源を辿ると、オランダ人のN.J ハブラーケンという建築家に至る。日本でメタボリズムの運動が花盛りだった丁度その時期に、オランダでオープンビルデイングという運動を起こしたのが彼であった。

彼の主張は明快で、不特定多数の人を対象に住宅を作るのは間違っている、というものである。つまり商品としての住宅というものの根本的な誤りを指摘したのである。

ヨーロッパの諸都市は既に何百年もの間に石と煉瓦で町を作ってきた。20世紀になってコンクリートが加わったが、作り方に変化があった訳ではない。私たちはヨーロッパの街並みというとパリのように広い道路に街路樹があって、整然とした街並みを思いがちである。しかし、パリで言えば、裏町にこそ本当のヨーロッパらしさがある。古い所では中世にまで遡ることができるほど、古い街がそっくり残っている。

家を造る時に大工さんをはじめ様々な職人集団に、このように作ってくれという注文を出して造ってもらうのは当たり前のことである。集合住宅を造る時には、一人一人の注文を聞くことは大切だけれど、その人々の集団であるコミュニティの意見を聞くことがもっと重要である。そしてそれが街に発展していくときには、街の人々が意見を出し合って街のルールを作り上げていって街が出来上がる。

彼が大反対をしたマスハウジングというのは、住む人が誰であるかは全く分からないまま、いわば匿名の人を想定して、同じ形のユニットを積み上げて行って、大きなボリュームにして、街にしてしまってから一斉に住むのである。このような街は決して人々が受け入れられる街にはならない、と反対したのである。

彼が予言したとおり、ヨーロッパでは大規模高層団地が次々にスラムと化し、不法占拠者が支配する街になってしまったのである。

日本の集合住宅では、不法占拠者が出る事態にまでは至っていないが、家を商品として、不特定多数に売るという状況はマスハウジングと一歩も変わっていない。

ハブラーケン氏は、決して昔へ戻れと言っているのではなく、一面で彼は近代主義者でもある。来日した際、日本のハウスメーカーが1軒1軒、注文を聞きながら家づくりをしていて、しかもそれが、工場の大量生産ライン上で邸別生産される様子を見て感嘆している。人々のニーズを聞くことが大切なのだ。

1995年の阪神淡路大震災は、それまでのマンションに対する人々の意識を大幅に変えた。NEXT21にスケルトン・インフィルを持ち込んだ私の友人なども、「関西で、地震に強いスケルトンを作りましょうと言っても、誰もこちらを向いてくれない。」と嘆いていた。西日本では大地震は起きないと信じていた人も多かったのである。

1996年~2000年にかけて国交省(当時は建設省)が取り組んだ「マンション総プロ」という国家プロジェクトで、スケルトン・インフィルが採用され、都市再生機構(当時は都市住宅整備公団)や大手建設会社、デイベロッパーに至るまでスケルトン・インフィルの大研究が始まったのである。

スケルトン・インフィルなどと言っているのはオランダ人と日本人だけだなどと揶揄されるほど、国中にこの思想が行きわたり、その後の品確法(2000年)、住生活基本法(2006年)、長期優良住宅認定基準(2009年)に至るまで、国の住政策の基本となるほどまでに成長してきたのである。

ここにまで来て、我々が大いに反省しなければいけない点があることに気が付いた。というのは、日本では地震に強いスケルトンを作り上げることに運動の主眼を置いていたために、スケルトン・インフィルは新築住宅であるという誤解が広まってしまったことである。

ハブラーケンがモデルとしてきたのは新築のピカピカの家ではなく、何百年も掛けてゆっくりと育ってきたありふれた普通の家だったことを思い起こさなければならない。地震に弱ければ、壊すのではなく、補強すればよいのだ。

スケルトン・インフィルの思想はリフォーム・リノベーションの思想であることをもっと語っていかなければならない。