オーダーメイドということ

家づくりは「あつらえ物」である。英語で言えばオーダーメイドということ。まず、敷地の条件をよく読みこんで、そして住む人の生活ぶりや好みを聞きとって、仕立て上げるのである。

リフォームの世界では、敷地ではなく、スケルトンということになる。広さ、形、風の向き、陽の光、通路の取りつき、お隣の状態、これはスケルトンごとに全て違っていて、2つとして同じものは無い。

リフォームの設計は楽しい。千差万別のスケルトンに対して、そこに割り当てられた人の生活ぶりや好みの多様性は、専門家の予想を遥かに超えている。

無限大×無限大の数えきれない可能性の中からオンリーワンの「あつらえ物」が選別されるためには多くのプロの人々が関わる。

つまり、あつらえには、住まい手のオーダーだけでなく、家づくりに関わる様々なプロの思いが込められている。プロの作り手達は、住まい手の生活ぶりをこうであろう、ああであろうと、あれこれ想像して、ものを決め、家を作りだしていく。

つまり、家を作っていく過程の中で、既に住まい手は、プロの作り手達の心の中でいろいろな風に住むことの試行錯誤に巻き込まれているのである。つまり数多くのシミュレーションが既に終わってベストの解が選ばれているのである。そうしてあつらえの心地よさが生れる。

我々の衣食住の全てから、どんどん、あつらえ物が消えて行ってしまった。ものは先ず出来上がった商品としてしか登場しない。予め性能が明示されている。予め価格が決定されている。いやおうなしに性能と価格だけで購入の決断を迫ってくる。

商品を売る人の側から見ると、購入者は典型化されるべきもの、平均化されるべきものとして、その多数意見が優先される。グローバルスタンダードに従わないもの、マジョリティでないものは切り捨てられ、商売の対象から弾き飛ばされる。

我々が辛うじて、ギリギリのところでストック社会の縁に踏み留まることが出来たのは幸いなことだった。大量なフローの洪水に飲み込まれないで、なんとか自らのストックを定めて、そを足掛かりに、それぞれのワールドを作っていくことが出来る余地は残された。プロの作り手たちが、フローの商品を介してではなく、直接、住まい手のワールドに触れて、オンリーワンのあつらえ物を作っていくことのできる社会の入り口に我々は踏み止まることができたのである。

一人一人のワールドが尊重されることが当たり前の社会では、一人一人にとって、ものの価値は異なったものになる。性能とか価格とかが一律の基準では処理されない。ものの価値はむしろ、その人にとっての「意味」と呼んだ方が適切な多様なものに変化していくだろう。

性能も価格も住まい手にとっての「意味」の一角を構成するかもしれないが、住まい手の心的世界の中の、思い出とか懐かしさ、純粋さとか正統性、イメージとかシンボル性、といったものが奥深い所で住まいの「意味」を形作っているに違いない。

住み心地とか、住み応えといかは、プロの作り手達が、住まい手にとっての住いの「意味」に寄り添う決定ができた時に、初めて感ぜられるものなのであろう。